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トゥインクル・レース(たすく)

 

 

 

「ロイヤル・ミーティングをこんなところで見られるとは奇妙なものだ」

 

 居間のソファに腰掛けてBBCを見ていたDIOが不意に云った。

 普段は人間どものことなどどうでもいいと云っている割に、英国に関するニュースが流れると時々そうして関心を向けている。

 テレビの画面には着飾った人々と共に競馬場で手を振る英国女王の姿が映し出されていた。

 ロイヤル・ミーティング、こちらではロイヤル・アスコットと呼ばれているが、英国の代表的な競馬レースだ。王室の宮殿のすぐそばにあるアスコット競馬場が会場で、王室の主催で行われる。もっとも高い席では、男性はモーニングにトップハット、女性はドレスに帽子と、第一級の正装をしなければならない。

 さほど競馬には明るくない承太郎も、その名前だけは知っていた。英国の行事や文化は百年以上の歴史を持つものがゆうにあるので、意外にもDIOとの共通の話題になることが少なくない。

 

「そういえば、お前はやらんな」

「一応、この国では未成年は馬券を買っちゃあいけないことになってるんでな……。好きな奴はやってるが、俺が見るのは天皇賞とか有馬記念とか……まあそれくらいだ」

 同級生の中にはすでに競馬に入れあげて、授業中でも固唾を飲んでラジオの中継を聞いているような者もいるが、承太郎は馬券を買ったこともない。だがお前「は」ということは、DIOはやっていたのだろうか。

「ジョースター家にいるときに行ったのか」

「そうだな。ロイヤル・ミーティング、ダービー・ステークス、サウザンド・ギニー、ドンカスター……。だが、そうでなくても競馬はたびたび開催されていた。大勢の観客が集まるし、子供の頃は結構な稼ぎ時だった。競馬かボートレースのある日は、普段の半月ぶん近い金を一日で稼げたな」

「レースでか?」

「いや。レースが近づくと、周囲に馬券売場や酒場、見世物小屋のテントがたくさん建つ。自分で賭けることにはあまり興味がなかったから、馬券売場で掛け金を回収したり、馬券を配ったり、配当率の書かれた表を貼ったり……そういう手伝いをしていた。あとは、観客にビールや肉を売ったり、間抜けな奴の財布を失敬したりな」

 そこまで楽しげに語ったものの、DIOはふいに不機嫌な顔つきになって話すのをやめた。

「くだらんな。……取るに足らん話だ」

「別につまらないとは思わないぜ」

 そう返したが、DIOは横を向いたままそれ以上話を続けなかった。普段はほとんどDIOの方が喋り承太郎が聞き役に徹することが多いが、こうして何かのきっかけで自分の過去に話が及ぶと、ぴたりと口を閉ざしてしまう。

 純粋な興味でもあったが、自分は意識的にDIOに昔の話をさせるように仕向けている気がする、と承太郎は思った。

 あえて過去の話をさせることで、DIOに人間的な生活を思い出させようとしているのか。二十歳で終わった「ディオ」の人生を、そこからやり直させようとでもいうのか。

 

「……見に行ってみるか?」

「何をだ」

「競馬だ」

「昼間なのに行けるわけがなかろう」DIOは眉をひそめた。いや、と承太郎は首を振った。

「夜でも見られるぜ。ナイター……夜間競馬ってのが数年前から始まったんだ」

 盛んにテレビのCMで見かけてはいたが、まさかこんな時に思い出すとは。

 

 そんなわけで、次の休みに競馬場に行くことになった。

 

   ◆

 

 夜はDIOと出かけるから夕飯はいらねえと告げると、母ホリィは「あら、デートなの?」と朗らかに笑った。

 んなわけねえだろうと云いかけたが、競馬を見に行くとはいえ賭けるのがメインでないのなら、実際のところそんなもののようにも思え、舌打ちしたきり何も云えなくなった。

 さすがに競馬場に学生服で行くのはまずいだろうと思い、クローゼットから服を見繕っていると、DIOが「おい」と云いながら部屋に入ってきた。

「私は何を着ればいいんだ」

「別にその格好でいいじゃあねえか」

「競馬場なのにか?」

「競馬場だぜ?」

 微妙に話が噛みあわない。だが承太郎がいつも最低限の説明しかしないということを最近理解し始めたDIOは、言葉を付け加えた。

「ドレスコードがあるんじゃあないのか」

「まさか」

 こんなところで日英の認識の違いを感じるとは。

 日本では別に競馬場は貴族の社交場ではないし、正装していく必要はないと説明したが、承太郎自身が普段と違う服装をするせいか、DIOまで着替えたいと云い出した。

 身長は同じだがDIOの身体は承太郎より遥かに肉厚だ。承太郎のズボンのほとんどが腿のところでつかえて履けない。

 仕方がないので父親のクローゼットを漁ってみたが、目ぼしいものは見当たらなかった。だが端の方に区切られるようにしてやや大きめのスーツが数着掛かっていたので、母に確認すると、それは祖父のジョセフがこちらにいる時に予備として置いていたものらしかった。ジョセフのものならDIOにも着られるかもしれないが、ブランドものの高級スーツは競馬場に行く格好にしては大仰すぎる気がする。

 だが逆にDIOはそれを気に入ったらしく、アルマーニ、ポール・スミス、DAKSの中から、「イタリアの縫製は好みでない」と云って、意外にももっとも手堅いDAKSのダークグレーのスーツを選択した。そして嬉々としてワイシャツを着だす。

「おい、タイを締めろ」

「ネクタイも結べねえのかてめえは」

「この時代のやり方は分からん」

 そう云って、DIOは艶やかな青のネクタイを渡してきた。

 だが制服がブレザーでない承太郎にとっても、ネクタイはそう日常で締めるものではないので、正面になると結び方がよく分からない。スター・プラチナにさせれば早いが、ネクタイも結べないのかと云った手前、自分でやらなければ「なんだお前もできないではないか」と鼻で笑われそうな気がした。仕方ないので、二人羽織のようにDIOの背後から手を前に回し、自分がする時と同じような視点でやるとなんとか結べた。しかしDIOの背中に自分から抱きついているような形になるのが非常に気に食わないし、DIOが上機嫌で鼻歌交じりに突っ立っているのも腹立たしい。

「なるほど、これがフォア・イン・ハンドか。なかなか上手じゃあないか、承太郎」

「知ってんじゃあねえか」

「お前に従僕めいたことをさせられるのは楽しい」

 ンッンーと歌いながら、DIOは満足気に鏡の中の自分の姿を眺めた。

 正面から結べていたら、堂々と首を締めてやれたものを。

 ついそれが顔に出ていたのか、振り返ったDIOが笑いながら額を指で小突いてきた。

「お前がアスコット・タイをするときは私が結んでやるさ」

 DIOがやたらにかっちりとした服を着たため、あまりくだけた服装をするわけにもいかず、承太郎は深紫の麻のニットに黒のトラウザーズを選択した。

「なんだ、お前。上を着てないだけで、普段の配色とほとんど変わらないじゃあないか」

 DIOの言葉を聞き流して帽子を手に取ろうとすると、ひょいと先に奪われた。

「わざわざ私服を選んだのに学帽を被っていては意味がなかろう。今日はこれは置いていけ」DIOは薄く笑って承太郎の帽子をくるりと回した。「安心しろ。このDIOといれば、みな私を見る」

 やれやれ、と承太郎はため息をついた。

 まったく、どこまでも自信に満ちあふれた男だ。

 

   ◆

 

 隣接する駅で電車を降り、そのまま人の流れについて歩道を歩いていくと競馬場に着いた。

 日曜とはいえ、サラリーマンらしきスーツ姿の男もいるのでDIOの服装が浮くことはなかったが、本人が云ったように、皆がDIOの顔を目で追っていく。

 入場ゲートを抜けて中に入ると、出走前の馬たちが歩きまわっているパドックがあった。観客たちが楕円形の馬場の周りで馬の様子を眺めている。

 ほう、とDIOは興味深そうに呟いて、柵のそばに寄った。

「一度くらいは賭けてみるか?」

「ああ」馬を見つめたままDIOは頷く。

 調教師に手綱を引かれてパドックを巡る馬を見ながら、ゼッケンの番号と馬の名前を確認する。

 DIOが気に入ったのは、シルバー・バレットという額に星形の模様のある銀色の毛の馬だった。

「面白いものだ。昔乗っていた馬の名前と同じだ。見た目も似ている」

「乗れんのか?」

「当たり前だろう。このDIOの時代の主な移動手段は馬だぞ」

「じゃあ、見ただけで馬のコンディションが分かったりするのか」

「レースに出るような馬は専門の資格を持つ者がきちんと体調管理しているだろう。馬に入れあげている者ならまだしも、素人目にはそこまでの違いは分からんさ」

 

 承太郎はオッズで一番人気だったヴァルキリーという黒馬を選び、結局もっとも単純で分かりやすい単勝の馬券を買った。指定した一頭の馬が一位になれば当たりとされる買い方だ。

 観客席のある建物を抜けると、目の前に巨大な芝のトラックが広がっていた。夜ではあっても、眩しいほどの数のライトで照らされ、野球場と同じように真昼のように感じられた。

 ドー……という低い重低音の地響きとともに、馬が最後のコーナーを回って戻ってくる。ゴールを迎えると、横長の巨大なスクリーンにスロー映像や順位が映しだされた。

「スタンド席も芝生席もあるが……どうしたい」

「あそこはなんだ?」

 DIOが指で示したのはトラックの内側だった。いくつかの建物と、子供向けの遊具が置かれているのが見える。

「トラックの内部に入ることができるのか?」

「馬場内は地下道を使えば行けるぜ」

 DIOが興味を示したので、なだらかな坂を下って地下道を通り、トラックの内側に出た。外側と同じように売店や馬券売り場があり、子供を遊ばせるための遊具がいくつも置かれている。今は夜なので誰もいないが、昼間は子供で賑わっていたのだろう。子供を遊ばせに競馬場に行くというのはあまりイメージが湧かないが、近所に住んでいる者にはごく普通の選択肢なのかもしれない。

 半分は施設になっていたが、半分は芝生のままで、ちょうどゴール付近のエリアには人々が思い思いに寝転がって、リラックスした様子でレースを眺めていた。昼間なら、レジャーシートを敷いてピクニックでもできるだろう。

 芝生に足を踏み入れてみたが、公園などに植わっている芝に比べると葉が大きく背丈も高く、結構硬い。だが寝転がってレースを眺めるには最適に思えた。こんなことなら、何か敷くものを持ってくればよかった。

 承太郎はとりあえず芝生の上に腰を下ろしたが、DIOはまだ立ったまま周囲を眺めていた。トラックの内側からだと馬は逆回りに走っており、珍しい光景に思えるのかもしれない。

「やっぱりスーツじゃない方が良かっただろう」

「そうでもないぞ」

 DIOはにやりと笑って承太郎を見下ろし、その身体を押し倒すように上にのしかかってきた。

「お前が私の下になればな」

 承太郎はちらりと周囲に目をやった。近くに他の観客はいないが、夜とはいえライトに照らされていて薄暗いわけではない。こんなところで青姦めいた流れに持ち込まれて見せ物になるのはごめんだ。

「今、それ以上妙なことをしたらスター・プラチナでぶっ飛ばすぜ」

「今じゃなけりゃあいいのか?」

 DIOは肩を揺らして笑いながら承太郎の上からどき、横に寝転んだ。ジョセフのスーツがしわしわになりそうだが、まああの祖父はそんなスーツなど山ほど持っているだろう。スーツ姿で芝生に寝転ぶDIOは、唇の中からちらりと覗く牙さえなければ、金髪の普通の若者のようにしか見えない。

 もしDIOが普通に今の時代に生まれ、偶然に承太郎と出会っていたとしたら、こんな風につるんで遊んだりしただろうか――そんなことをふと思ったが、考えても意味のないことだった。

 

 そのうち、ファンファーレの合図が鳴り響き、二人が賭けたレースに出場する馬が現れたので、二人は身を起こした。

 馬たちは次々とスタートゲートの中に入っていく。全ての馬が収まった直後、ゲートが自動で開き、馬が一斉に飛び出した。競馬の中継映像のように鮮明には見えないが、馬が逆向きにコーナーを回っていくのが見える。DIOの指定した馬は承太郎の指定した馬よりも前を走っていたが、最後の方に一頭の馬の騎手が落馬して混戦となり、その中から承太郎の馬が抜けだして一位になったように思えた。

「ほう」

 DIOが声を上げたが、しばらく順位が確定せず、結局承太郎の指定したヴァルキリーという馬は走行妨害で失格となった。三位でフィニッシュしたDIOの馬は繰り上がって二位だった。

「複勝で買えば当たっていたな」

「ふん」

 DIOは再び寝転がった。どこか機嫌良さげに見える。それを見下ろし、承太郎は云った。

「感想は?」

「星空の下で寝転がって競馬を見るのも悪くない。だが」

 云うなり胸ぐらを掴まれて引き倒され、再び胸の下に組み敷かれた。見下ろしてくるDIOの背後には夜空が広がり、いくつもの星が煌めいていた。

「今は馬の着順より私が何を考えているかをお前は当てるべきだ。分かるだろう?」

「さあな」

 そう返したにも関わらず、唇を塞がれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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