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あまいゆめ

 

 

 

 

 その日はちょうど二十歳の誕生日だった。

 承太郎は大学の研究室の海洋調査でクルーザーの船上にいる間に誕生日を迎え、教授や学生仲間に祝ってもらった。多少夜更かしはしたが、翌日も朝から調査のために日が変わる前に皆就寝した。

 

 いつもより多めの酒を飲んだせいか、尿意で目を覚ました。だが手洗いから戻っても、なかなか再び眠りにつくことができなかった。

 一時間ほどしても一向に眠気がやってこないので諦め、承太郎は煙草とライターを手にすると、周囲で眠る仲間たちを起こさないようにそっと部屋を出、船体後部の甲板に上がった。

 前方の操舵席には船員の一人が寝ずの番をしているのか、明かりが灯っている。

 煙草を吸おうと箱を見たが、中は空だった。先ほど皆と飲んでいる時に最後の一本を吸ってしまったのだ。新しいものは室内に戻って手荷物の中から探さなければないことに気づき、承太郎はチッと小さく舌打ちした。

 研究仲間は欧米出身者が多いせいか、喫煙する者は少ない。吸う時は常に距離を置き迷惑がかからないようにしていたが、そんな煩わしさもあって以前よりは吸う本数も減ってきている。日本も最近では禁煙のところが増えてきているし、何より海洋調査では素潜りする機会も多く呼吸器は重要だ。もし本格的にこちらの道に進むのなら、やはりそろそろ煙草は断つべきだろう。

 承太郎は室内に戻るのを諦めて甲板の柵に手をつき、気を紛らわすように息を吐いて暗い海を眺めた。

 昼間には降りそそぐ太陽の光のもと宝石のように輝いている海面も、今は重油のように黒くどろりとしている。波は穏やかだが、決して理由なく手を出そうとは思わない深い闇の色だ。唯一、月の真下だけは白く筋のように波の形が見える。

 

 ――――と。

 

 月光の降りそそぐ波の間に、何か黒い塊のようなものが見えたような気がした。

 船の位置からは離れているので衝突する危険性はないが、こんな深い海の真ん中に岩礁があるのだろうかと目を凝らし、承太郎は自分の目を疑った。

 それは動かない岩礁ではなかった。

 かといって、クジラやシャチのような海洋生物でも、また別の船の影でもなかった。

 マッチ棒の先ほどの大きさに見えた黒い塊は、月光に照らされた海路を渡るうちに次第に縦に長く伸び、完全に二本足で歩く人間の形になった。

 承太郎は息を飲み、甲板の柵から手を離して船の壁際に立ちつくした。

 

 ――まさかありえるはずがない、こんなことが。

 

 波打つ海の上を、一人の男がこちらに向かって歩いてくる。まったく歩みにぶれるところがなく、ガス灯の明かりに照らされたロンドンの石畳を歩く紳士のように優雅な足どりだった。

 外套を羽織った金髪の男。

 それは三年を経てもなお強烈に承太郎の意識化に居座るかの吸血鬼の姿そのままだった。

 かつて夜のカイロの街中を悠然と歩いていたように、承太郎のいるクルーザーの方に向かってくる。

 吸血鬼が海を渡るなど聞いたことがない。そもそも、伝承では吸血鬼は水に弱く簡単に流されるというではないか。ではあれは何か。俗にいう船幽霊というやつなのか。

 スター・プラチナ、心の中で強く念じるが海の煌きの色をした承太郎の分身は姿を現さなかった。

 すでに自分は敵の術中にあるのか。幻の空間を見せるスタンドか、あるいはスタンドが船そのものだった時のような。

 その思考に気を取られていた一瞬に、視界の男の姿を見失った。しまったと思った時には、その姿はすでに甲板の柵の上にあった。腕を組み、ファッションモデルのように脚を揃えて柵の上に立っている。人ならざる真紅の目がぎらぎらとこちらを見据えていた。

「承太郎」

 記憶――むしろ何度となく見た悪夢の中の声のまま、男が嬉しそうに呼んだ。赤い唇がにいと上がり、乱杭歯が覗く。

「DIO……」

 口に出すべきではなかった。呼ばなければ蜃気楼のように消え失せたかもしれない幻が、完全に形をなし実態化してしまった。月明かりに照らされて影さえ甲板に長く伸びている。

 足音ひとつ立てずに、DIOは甲板の上に降りたった。

 その姿は記憶の中のままと変わらないが、自分が年を重ねたぶん、逆に若くさえ見える。ディオ・ブランドーが「人間をやめた」時、確か二十歳かそこらであったはずだ。

 もしその目と牙が人のもので、承太郎の持っている服に着替えでもすれば、この船に乗っているスタッフの一人としても通じるかもしれない。

 そんな思いを抱いた自分自身に承太郎は驚きを感じる。かつて得体の知れない化け物のように思っていた男に対して、わずか数年を経ただけでこんな感想を持つようになるとは。

「会いたかったぞ」

 微笑んだままDIOは囁いた。

 声の印象は変わらない。むしろ、その若々しい見た目からすると逆に違和感を覚えるような話し方だ。

 大学にいた、格式ばったイギリス英語を使う老教授の話し方に似ている。いや、逆に気づいてしまった。さして興味があったわけでもないのにあの老教授の講義を聴き続けたのは、目の前にいるこの男の話し方によく似ていたからではないのか。

「何故何も言わない? 再会を祝して抱擁でもしてくれないのか?」

 吸血鬼は大仰に両手を広げた。

 

 DIOが現れる夢は今までも何度となく見ている。

 ようやく消滅させたと思った砂の中から再び復活してくる夢。

 手下が開けた棺の中に、白木の杭を打たれ血塗れのまま絶命しているDIOを見つける夢。

 なぜか自分がDIOの館に招かれ、広いベッドの上に寝転がってスタンド談義をしている夢。

 高祖父ジョナサンのように、炎に包まれたどこかの屋敷でDIOと殺しあっている夢。

 生き返ったジョセフの意識がDIOに乗っ取られていた夢は今までで最悪の悪夢だった。祖父の姿でDIOの声をした悪魔を、もう一度殺さねばならなかったのだ。

 エジプトから戻ってきた後の一年は、夜眠るたびに悪夢に悩まされた。

 夢は夢と分かる場合もあったし、分からない場合もあった。だが常にDIOが現れるたびに承太郎は衝撃を受け、奴は俺が殺したはずだと自答していた。

 そして今回もそうだ。殺したはずのDIOの存在、そしてスタンドが出せない、それだけでこれが夢だと分かる。

 だがいつまで経ってもDIOの夢を見続ける自分自身に苛立ちを覚える。

 旅をしたのは二ヶ月、実際のDIOと相対し言葉と拳を交わしたのは一日にも満たない。にも関わらず、何故ここまでこの男の存在に影響を受けなければならないのか。

 DIOの残党との戦いは大学に籍を置いている今も続いている。今はまだジョセフとポルナレフが中心となってスピードワゴン財団に調査をさせ、必要であれば配下のスタンド使いか彼ら自身が直接出向いて調査にあたっているが、大学を卒業したら、承太郎も本格的にその活動に関わらなければならなくなるだろう。

 わずか一日関わっただけの男の痕跡を消し去るために。

 

「だがお前は、私を殺したじゃあないか」

 

 承太郎の思考に応えるように、目の前に立ったDIOが言った。

 

「私の身体を殴り砕いて、全身の血を絞り出して、挙句の果てに灰にして完全に消滅させたじゃあないか。酷い男だ」

「…………」

「……ひどい男だ」

 下から覗きこむように身を屈め、DIOはもう一度囁いた。

 完全に消滅したのなら、なんでてめえは今ここにいる。

 そう思うがこれは夢なのだから仕方がない。

 しかし今まではここまで至近距離に近づくのを許したことはなかったはずだ。何かが違うのか。それとも目覚めた自分がいつも忘れているだけなのか。

 つとDIOの手が伸びる。

 承太郎はぞっとしてその手を力任せに振り払い、身をひるがえしてクルーザーの船内に駆け込んだ。

 冷静に考えれば、中には多くのスタッフが眠っている。そんな所にDIOの侵入を許してしまえば、彼らがことごとく餌食になるのは目に見えていた。もし現実で船上で戦うはめになっていたら、絶対に船内への入り口は死守しただろう。にも関わらず、承太郎は狭い船内に身を滑りこませた。背中にDIOの嗤う声が被さる。

 仲間たちが寝息を立てる中、ベッドのひとつが空いている。先ほど承太郎が寝ていた場所だ。

 ――もう一度目を閉じれば、この悪夢から目を覚ますことができるのではないか。

 そんな考えが頭をよぎった瞬間、後ろから指が食い込むほど強い力で腕を掴まれてそのまま力任せにベッドの上に押し倒された。

 すぐ横に寝ている教授の枕元に聖書が置かれているのを視界に捉え、承太郎は咄嗟にそれを手に取り、広げたページをDIOの顔に叩きつけた。

 だがDIOは一瞬動きを止めただけで、本ごと承太郎の手首を掴み、聖書の影から承太郎を見てにいと笑った。

「こんなものが私に効くと思ったか? 神父様」

 ばさり、と聖書が床の上に落ちる。

 ホラー映画のように、十字架や聖書を見せただけで吸血鬼が怯むことなどないと分かっていたはずなのに。

 これだけの物音を立てても、眠っている者は誰一人目を覚まさない。死んだように身動きしないのは、ひょっとしてすでにDIOの餌食になっているからではないのか。

 腰の上に乗り上げたDIOに、両手を掴まれてシーツにまとめて押しつけられた。

 咄嗟に分身の名を叫んだが、やはり何も反応はなかった。だがDIOもまたスタンドを出さず、自らの力だけで承太郎を拘束している。

 やはり――これは。

「スタンドが出せないからこれは夢だ、と思っているのだろう? だったらいいじゃあないか」

 何がだ、そう言おうとした時、すぐ目の前までDIOの顔が寄ってきた。けぶる金の睫毛の下の、真紅の目が承太郎の姿を映す。

 空いているDIOの片手が腕の下をなぞり首すじを撫でる。ぶすりと指を突き立てられるのかと思いきや、しっとりと濡れた唇の中から赤い舌が覗き、首の付け根から顎の下までをべろりと舐められた。

「……ッ!」

「なあ、お前もそうは思わないか? 思うだろう?」

 熱い吐息を吹きこまれて耳元で囁かれ、背筋がぞくりと震える。

「どうせ夢なのだ。たまには私の望みを叶えてくれてもいいだろう」

 望み? 血を寄越せとでもいうのか。それともこの命か。だったら今すぐに全身の血を吸い取って殺せばいいものを。

 胸の上にのしかかったDIOの指が鎖骨のくぼみを這う。どくりどくりとうごめく頸動脈に触れて、吸血鬼は微笑んだ。

 だがまた何もしない。指の背で顎の下をなぞり、承太郎の目を覗きこむように額を寄せてきた。

 承太郎の下唇にDIOの指が触れる。さすがにそこまで露骨な触り方をされれば、嫌でも状況を理解した。

 自分に対して、殺意ではなくむしろ欲情を感じているようなDIOなど、ありえない。そう思うのに。

 鋭利な牙の覗く唇に、下唇を挟まれ、ゆっくりと吸われる。鋭い歯が当たるのを感じたが、食い込むほどの強さではなく、むしろむず痒さを感じるような刺激だった。

 閉じた唇の表面を、ぞろりと舌で舐められる。唾液で湿った舌の質感は確かに生き物のそれなのに、まったく熱さを感じなかった。

 これは夢だ。そうでもなければ、こんなことはありえない。

 だが夢だからこそ、なぜこんなことに――

「承太郎」

 熱く湿った低音で囁かれ、再び下唇を幾度も甘咬みされ、逃げ場のない責め苦に耐えられずついに口を開けて息をしたところへ、ぬるりと舌が入りこんできた。

「……んっ、ぁ」

 全身に力が入らず、頭が回らないのは酒が抜けていないせいなのか。口内奥深くまで入り込んできたDIOの冷たい舌に好きなように翻弄され、溢れでた唾液が口の端から滴って首すじを濡らす。それを舐め取られ、再び唇を塞がれた頃には、抵抗するどころかむしろ応じるように舌を絡めていた。

 かちりと歯が軽くぶつかり、それでもなお幾度も角度を変えて互いの唇を吸いあい、再び深く押しつけて舌を貪りあう。

 いつの間にかDIOの手が夜着用に着ていたTシャツをたくし上げ、胸の上を弄りはじめているが、両手を押さえつけられていてはどうすることもできない。

 いや――それは嘘だ。すでに承太郎の両腕を拘束しているもう片方のDIOの手にはほとんど力が入っておらず、簡単に振りほどくことができる。それどころか、腹を蹴り上げれば腕の下から逃れることもできるだろう。なのにそれができない。かろうじて身をよじって刺激から逃れようとするが、逆に脇腹をツツツとなぞりあげられて声にならない息が漏れた。

 それでも声を上げずに耐えている承太郎に焦れたのか、DIOの指は執拗に胸の突起を擦り、ついに強めに爪を立てた。

「あ、あ」

 びくり、と背がしなる。

 周囲に寝ている者がいるというのに、一度声が出てしまえばもう堪えることができなかった。赤く熱を持った突起を摘ままれ、押しつぶされるたびに息が漏れる。

 承太郎の両手を拘束していたDIOの手が突然外れた。はっとしたのもつかの間、DIOの冷たい唇にジュッと乳首を吸い上げられ、高い声が出そうになるのを、咄嗟に口を押さえて耐えた。

 胸に舌を這わせたまま、DIOが肩を揺らして笑う。

 その時ようやく自由になった両手に気付き、同時に胸元に唇を寄せているDIOと目が合った。

「やれよ」

 いっそ天使にさえ見える極上の笑みを浮かべて、DIOが囁いた。

「その手で首を締めろ。それで、いつものように殺せる」

 承太郎の両手を取り、DIOは自分の首すじに押し当てた。

「ちょうど、この傷のある境目。ここに指を食い込ませれば、首を切り離すこともできるぞ。さあ、やれ」

 それで?

 ごとん、とDIOの首が床に落ちればこの夢もまたゲームセットで、リセットされるのか?

 そしてまた明日か何日後かに、何十回目だか何百回目だかの悪夢を見るのか?

 

「DIO」

 両手でDIOの頭を引き寄せ、承太郎は自分から唇を塞いだ。歯列の隙間から舌を割り込ませ、尖った牙をなぞり、その奥にある冷ややかな舌に自分から吸いつく。

 くぐもった声でDIOは笑い、承太郎のぎこちない口づけに応じつつ、右手で緩やかに腹を愛撫した。その手はへその窪みを経てしだいに下着の中にするりと入りこんできて、愛しげに腿を撫でた。

 これでどうする。こんなことをしたからといって、これから先この男との悪夢を見ない保障などないというのに。

 それとも、今こうしてDIOにされるがままになっているという状況そのものが、悪夢だというのか。

 そんな思いをよそに、DIOの指は躊躇うことなく承太郎の性器に絡みついてくる。

「承太郎」

 愛しい恋人を呼ぶように、DIOが囁く。

 その背に腕を回し、承太郎は目を閉じた。

 このまま目を閉じていれば、再び朝を迎えられるのか。

 あるいはこの甘い悪夢はまだ続くのか。

 DIOの与える刺激に身体を震わせ、承太郎は背を仰け反らせて何度目かの喘ぎを漏らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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