
黒い孔雀は夜にひらく
最初はきっと、嫌がらせのつもりであったのかもしれないし、やはり悪足掻きであったのだろうと思う。
私はそれを微笑ましく思っている。少年が懸命に考えた、搾り出した知恵の結果がこれだと思えば、これしかできなかったのだと思えば、ささやかな抵抗にもならないそれを免罪符に私を部屋に招き入れる。
最初は十字架だった。
恋人の部屋へと足取りも軽く訪れれば、大きなベッドの上に件の愛しい姿は無かった。見渡して、耳を澄まして、どうやら今宵はかくれんぼらしいと知る。私が訪れる気配を感じ取って、この部屋のどこかに息を潜めて隠れているのだ。他愛も無い、余興だ。私はあの大きな身体が隠れられるような場所を探して回った。微かな物音も逃すまいと耳を立てながら、部屋の中を歩き回った。ベッドの下や、積まれたクッションを投げてみたり、探す振りをした。どこにいるか初めからわかっていた。
「ほうら。見つけたぞ」
部屋の角にある大きな姿見の後ろ。覗き込めば、承太郎は十字架を握って座り込んでいた。昨日は少し血液を吸いすぎたから、立つのも辛かったのだろう。ぎくりと私を見上げたその表情にそそられる。加虐欲がむくむくと膨らんでくるのが自分でも分かった。
承太郎はクリスチャンだっただろうかと考える。母方の方はそうであるかもしれないが、日本で育った承太郎が敬虔なクリスチャンであるとは考えにくいだろうし、神に縋るような性分でもないように思う。大体、あんなものを肌身離さず持っていたら私が気付かない筈がない。どこからか持って来たのだ、と思い至る。承太郎が自由に動けるのは館の一部だけ。立つのもやっとだというのに、動き回って、どこにあったものか十字架を握り私から隠れている。もしかしたら、という考えが浮かぶ。吸血鬼除け、だろうか。伝説の吸血鬼が苦手なものといえば十字架が定番だ。
ああ、そういうことか。
抵抗すれば仲間を殺す、と私は承太郎に言った。スタンドも使うなと言った。そうして抵抗できなくして、私は承太郎を犯した。それも今更のように思う。もう何度も抱いている。大人しく抱かれるようになったかと思ったが、ささやかな抵抗ということだろうか。いや抵抗にもならない。十字架など、なんの効力も持たない。神も恐れぬ私がどうして神に怯んだりするだろうか。承太郎も分かっている筈だ。何の意味も無いことに。だから、それは嫌がらせだ。自ら受け入れてなどいないという意思表示だ。そうでもしなければ矜持が許さないのだろう。精一杯のことはした、できるだけの抵抗はした、けれど、抵抗虚しく蹂躙された。そう思わなければ、自分に言い訳ができないのだ。私に素直に抱かれることへの言い訳が。
いじらしい。
ひょい、と承太郎の手の中の十字架を摘み上げた。効果など、端から期待などしていなかっただろうに、承太郎は全く十字架が吸血鬼に効かなかったことに悔しそうに唇を噛み締めた。これで、大人しく私に抱かれてやる言い訳が立つ。腕を掴み引きずり出すと、ベッドの上に放った。ベッドは軋むことなく承太郎の体を受け止めた。覚悟を決めたか、悪足掻きの気が済んだのか、承太郎はベッドの上で大人しく転がったままでいた。その上に覆い被されば、強がってきゅっと上がった眉とは正反対に瞳が不安に揺れている。取り上げた十字架には細いチェーンが付いていた。ああ、なんとなく見覚えがある気がする。承太郎がここへ乗り込んで来た少し前に、私に身を捧げた女のものだ。私のことを神のように崇めて、首から提げた十字架を握りながら喜んで血を提供した。その女が落として行ったものを承太郎が拾ったのだろう。
ちょっとした思い付きなのだろう。前戯のような戯れを、偶にはこういうのも悪くないかと気分良く承太郎を抱いた。
失念していたが、承太郎は凝り性で研究熱心で、それから我慢強く最後まで諦めない性格だ。
十字架の件の翌日に承太郎の部屋に訪れて、私はそれを思い出した。
「何だ、これは」
「ニンニクだぜ」
ベッドの上に、ちょんと乗った白い球根のようなもの。承太郎はそのニンニクの前に座り十字架を持っていた。
「……効かんぞ…」
拾い上げて見せればあからさまにがっかりした顔をした。どうやら昨日の続きらしいと気付く。今度はどこから持ってきたものか。承太郎は腕を組んでうーんと唸って考えている。拾い上げたニンニクと、承太郎の手の中の十字架を取り上げて、ベッドの下へ放れば大人しく承太郎は腕の中に収まった。腰を抱けば首に腕が回ってくる。
妙な好奇心に火がついたものだ。
その翌日にも新しい吸血鬼対策が増えていた。今度は盛り塩だった。ベッドの手前に置かれた皿の上に三角形に整えられた塩が一山置かれている。私はそれが日本では魔除けであると知らず、普通に跨いで通ってしまった。その時の承太郎の残念そうな顔ときたらこの上なく可愛いのだが、まずもってすでに吸血鬼対策ではなくなっているということに気付いただろうか。本当なら聖水を置きたかったそうだが、この館の中にそんなものがあるはずがなく、前日同様に厨房で見つけた塩を持って来たそうだ。食塩に魔除けの効果があるかどうかも疑問だ。さらに翌日には水晶が増えていた。貢物の中にあったのだろう。
段々と、今日はどんな悪足掻きをしているだろうかと楽しくなってきた。効かないと分かっていてやっているのだ。万が一にも吸血鬼に効果のあるものはあるだろうか。私の知っている限りは今のところ日光と波紋くらいのものだが、意外にも効果のあるものが無いとは言い切れない。それにそんなささやかな抵抗はやはり私には前戯のように感じられて、その後の行為を盛り上げるだけだった。
一週間もすればネタも尽きてくるだろうと思っていた。これがなかなか続く。どこから探してくるものか、どこで情報を得てくるものか、吸血鬼など関係なく、魔除けと名のつくものを館中から掻き集めてくる。殺風景だった承太郎の部屋に物が増えた。
さて今日は何を用意してきただろうか。昨日はサボテンだったな、と思い出しながら部屋のドアを開ける。
ドアを開けたまん前に、こちらをじっと見つめるそれと目が合った。ように思えた。おびただしい数の目がある。一様にこちらを見ている。鮮やかな青い身体から放射状に広がる、目、目、目。目のように見える、それは扇のように開いた羽である。孔雀だ。なんて場違いに神々しい生物だろうか。私はぽかんとそれを見つめたあと、ようやくそれも承太郎の用意してきた魔除けなのだということに気がついた。もはや吸血鬼対策からは程遠い。なんの関連もなくなっている。こんなもの、館のどこにいたのだろうか。
大きな羽を広げて我が物顔で立っている孔雀をぐるりと回る。まるで屏風のように立ち塞がっているものだから、全く向こう側が見えないのだ。孔雀の向こう、ベッドの上にはメモ帳を持った承太郎が胡坐をかいて座っていた。メモ帳にペンを走らせている姿にハアと溜息を一つついて、そのメモ帳を取り上げた。あっと声を上げて摘み上げられたメモ帳を目で追っている。
「すげえだろう。庭にいたんだぜ」
そういえば、以前貢物にと孔雀を持って来た者がいた気がする。テレンスに押し付けてしまっているからどうしたのか知らなかったが、庭で飼っていたのか。だとしたら、承太郎の思っている孔雀の役目は、私にとっては大きく違うものだ。
「庭まで出ていいと行ったか?」
「いいだろ、敷地内だ」
取り上げたメモ帳を見れば、今まで試したものがずらりと書かれている。十字架、盛り塩、水晶にサボテン…破魔矢と書かれているが何処に置いてあったのだろうか。どうやら私が気付いていないものもあるようだ。
孔雀がこちらに背を向けていたが、バサッと大きな音を立ててその大きな羽を仕舞った。長い尾を引きずりながら、部屋の中を歩き回っている。
「捕まえてここまで運んできた苦労は労わるが、効果が無くて残念だったな。どうやら孔雀には魔除けの効果は無かったようだな。ここは日本ではないからなあ」
腰を抱いて捕らえれば、承太郎は教わったとおりに私の首に腕を回した。抵抗しないことを示す為にそうしろと、躾けたのだ。引き寄せて唇を合わせれば、まるで恋人の情事のようだ。
形ばかりは受け入れる態勢を見せていても本心は違う。合わせる唇に戸惑うように身を固くする。キスの仕方も分からないような、受け入れることに抵抗感がまだ残っているのだろうが、唇を啄ばまれても目をぎゅっと閉じたり、いややはり現実を確かめようとするように目を開いて目の前の私の顔を窺ったりと忙しない。やわらかく少し乾いた唇へ舌を押し付けて、口ごとしゃぶるように舐め、顎を掴みこじ開けた口の中を舐め回す。
「んっ……ぁ、は……っ…」
舌を撫でられる感覚に承太郎の体がびくつく。何度も行為を受けている身体はちゃんと次に与えられる刺激があることを覚えていて、その次を期待するように体温を上げていっているのが浅ましくもあり喜ばしくもある。
「日本では孔雀は邪気を払う象徴であるとされているそうだな。」
膝の上へ座らせ、首筋に唇を這わせながら言うと、承太郎は伏せていた目を開けた。服の中に差し入れた手で体を弄るとその度にびくつく感度の良さに気分が良くなる。
「毒蛇などを食べることができることが由来だそうだが、羽の模様が目に見えることも百の目が悪を見張っているともされている。ギリシャやインドなど東洋では神聖なものとして好まれたが、西洋では違う。知っているか。孔雀は不死の象徴でもあるが、キリスト教においては忌み嫌われる。孔雀は悪魔ルシファーを指す」
そこまで言えば分かっただろうか。半端な知識で遊び半分に行えば、思惑とは違う結果をも生じさせる。魔除けのつもりが魔そのものを傍に置いたのでは本末転倒だ。それが分かればこの遊びも飽きてやめるだろうと高をくくっていた。すでにネタ切れを起しているのだから、良い機会だ。
「どうしようか、承太郎。悪魔と吸血鬼が一緒では分が悪いなぁ」
その悪魔に目を向ければ呑気に部屋の中を闊歩している。バサバサと大きな音を立てて羽をもう一度立てると、金色に輝く百の目が我々を見張るようにこちらを見た。承太郎も孔雀を見た。百の目が吸血鬼に嬲られる様を見ている。見せ付けるようにインナーを捲り上げて胸に舌を這わせると、承太郎は見られているということに羞恥を覚えたのか見る見る顔に朱を差して、私の頭を抱き髪をゆるゆると引っ張った。噛み締めた歯からふっと息が漏れるが声は懸命に堪えているのが分かる。鳥相手に羞恥を持っても仕方ないとは思うが、見られていると思うことが承太郎を煽っているのならこれもまた結果としては良しとしよう。
そんなに見られるのが恥ずかしいのなら、と衣服はあまり脱がさずにおいてやった。ズボンは流石に邪魔なので脱がせてしまったが、裾の長い学ランが承太郎の背後をすっかり隠しているからいいだろう。
「はあ……あ………っん、んん…」
声を上げれば思い出して、慌てて歯を噛み締めて、袖を噛んで。そうしているのを見ると、どうやって嬌声を上げさせてやろうかと嗜虐欲が刺激されて、承太郎の中に埋めた指をぐるりと回した。
「あっぁ!」
味を覚えたそこはすぐに悦んで、快感を拾いあげている。狭いそこが綻んで、私の指をしゃぶりだす。私の肩に頭をもたれて快感に震える様に煽られて、すぐにでも貫きたくなる衝動を抑えそこが傷ついたりしないようにやわらかくなるように解していく。抱く度に私の指を、唇を、覚えていく様子は承太郎には耐え難い屈辱だろうが、私には代え難い喜びだ。こうしていると御話の吸血鬼のようだ、と思う。毎晩、吸血鬼は娘の許を訪れてその生き血を吸っていき、最後には娘は吸血鬼のものになってしまうのだ。この身体をすっかり暴き尽くした頃には私のものになるだろうか。
前を寛げて取り出したペニスを承太郎に宛がった。指を引き抜かれた秘所は私のペニスに吸い付き、態度では恐がる素振りを見せながらそこは早く飲み込みたいと言っているかのようで、腿を震わせて私の腰を跨ぐ承太郎の腰を撫でて自分で腰を下ろすようにせっつく。唇を噛みながらゆっくりと腰を下ろそうと私の腹に手を付いた承太郎を、今気付いたとばかりにその動きを止めさせた。
「ああ、忘れるところだった。ほら、ちゃんと裾を持っていないと、汚れるだろう」
承太郎はすぐに私が言わんとしていることに気付き、上から恨めしそうに睨んだ。視界の端に孔雀が出口を探してうろうろとしているのが見える。孔雀相手に恥じらいながらも、承太郎は長い学ランの裾を腰の位置まで捲り上げて、落ちて裾が汚れないように掴んだ。そのまま、私を睨みつけながら腰を落としていく。睨んでいた目が苦しそうに歪む。肉の筒の中にペニスが包み込まれる。すぐにも動きたい。まだ我慢しなくてはと思う。すぐには動いてはいけない。辛抱強くそこが馴染むのを待った。承太郎の違和感が消えるのをじっと待った。焦れたように脚をもじもじとさせればもう大丈夫だ。露わになった腰を掴み思うさま突き上げた。耐え切れなくなり上がる嬌声が恥ずかしいのか羞恥の色の浮かぶ顔に、捲る裾。
「孔雀だ。」
「……あ?」
承太郎は揺さ振られながら背後を振り返り、孔雀を見た。
「違う。貴様だ。」
「………俺?」
はっはっと忙しない呼吸をしながらも、態度だけは強がって見せる少年の前には切羽詰った劣情が揺れている。だからからかいたくなる。
「知らんのか?貴様の国では孔雀、というのだぞ。そうやって、裾が汚れないように捲り上げてすることをな。日本の売春婦が着物をそうしていたのだと」
捲った裾が腰で広がって揺れている。孔雀の開いた羽のようだ。
孔雀が黒い羽を揺らしている。
身体を引き換えに仲間の命を買っているのだから売春婦と言われても仕方がないと思う節もあるのだろう、否定はしなかった。傷ついた顔をしたかもしれない。
揺れる黒い羽の後ろで、もう一羽の孔雀が少しだけ開いていた扉から出て行くのが見えた。
腹の上に精液が散ったのはもう三度目だ。裾を掴んでいた手はとうに離れ、自分の身体を支えていたことも限界になり、ぐったりと私の上に倒れ込んだ。
胸にどん、と衝撃が走った。
倒れ込んだ承太郎が、ゆっくりと起き上がった。なんだろう、と自身の胸を見下ろすと、木の棒のようなものが胸から生えていた。今の衝撃はこれが刺さったものだろうか。掴み、引っこ抜くと先端が尖っていて、まるで、これは、杭だ。胸に杭を打つのは、吸血鬼だ。
「承太郎………貴様…」
杭を抜いた胸にはぽかりと穴が開き、そこからとぷとぷと赤い血が溢れ出した。溢れ出したかと思うと肉が塞がり破れた皮膚がくっついていく。
この期に及んで、この期に乗じて私を殺そうとするとは。頭に血が昇っていくのを感じた。私を殺そうとしたならば、反逆だ、抵抗だ、仲間を一人殺して思い知らせてやろうか皆殺しにしてやろうかと怒りに任せて衝動的に考えた。
「違うぜ。DIO。俺はてめえと殺そうとはしてない。ただの、吸血鬼除けの遊びの続きだぜ。そんなものでてめえが殺せるなんて、思ってねえ。怒るなよ。孔雀と一緒だぜ。効果なんて、無いと分かってるに決まっている。そうだろ」
私はそう言った少年を見上げた。
何もかもを、見透かした目をしていた。きっと、私に杭など効果がないと分かっていた。けれど、それで殺せたら儲けものだとその目が言っている。効果なんてない、知っていると言いながら、間違いなくそれが吸血鬼の弱点ではないという保障も無い。万が一にも効果があるかもしれない。明日には銀でできた銃弾でも用意しているのではないだろうか。
一体、どちらが食われようとしているのだろうか。毎晩毎晩、私は承太郎を少しづつ食べて自分のものにしようとしながら、その実、私を食らおうとしているのだ。
孔雀は毒蛇を食べることができるのだから。
これだからジョースターの血はたまらないのだ。
[end]